共に時を重ねる

鉱物を溶かし、土で作った鋳型に流し込むと新たな役割を担って鋳物が誕生します。
鋳物は古代には神器となり、中世には鐘や釜となり、現代では日々に寄り添う道具となって人の暮らしに溶け込んできました。鉱物・土・炎という神からの預かりものから成り、大地の力を宿し、自然の環の一部として人の営みの傍で共に時を重ねます。ここで生まれた鋳物が、人それぞれに積み重ねられてゆく時間の中で小さなあかりとなるよう、想いを込めて制作を続けて行きます。

工房の沿革

  • 約600年前:新潟県柏崎市で鋳物業を開始。
  • 江戸時代:由緒正しき鋳物師として朝廷より許状を受け釣り鐘や塩釜を制作。
  • 江戸末期:原 得斎より技術を継承し蝋型鋳造法で美術工芸品を主力商品に据える。
  • 1978年:伝統的蝋型鋳造法が新潟県無形文化財の認定を受ける。
  • 1981年:皇太子殿下への献上品制作。
  • 2010~12年:新潟県グローバルブランド『百年物語』参加。
  • 2015年:日本伝統工芸新潟県最高賞受賞、以降入選。
  • 翌年日本金工展受賞、以降入選。
  • 東日本伝統工芸展入選、以降入選。
  • 20016~18年:経済産業省 関東経済産業局とシンガポールデザイン庁の協調支
  • 援事業『KYO project』参画。
  • 2017年:当代が五代晴雲を襲名する。
  • 2018年:JR 東日本おみやげグランプリ銀賞受賞。

江戸時代には釣鐘・塩釜を手掛ける鋳物の一大産地として栄えた柏崎の大久保。
およそ650年前、河内鋳物師(かわちいもじ=12世紀から15世紀に現在の大阪で活躍した鋳物師集団)が 柏崎の山中に移り住み、技術を伝えたことが大久保鋳物の始まりと云われています。
当家もその頃より鋳物業に携わってきたと伝えられており、鋳物師として20代以上を数えます。
江戸末期に鋳物師の原 琢齊と得斎の兄弟が蝋型鋳造法を取り入れ茶道具等の暮らしを彩る美術工芸品の制作を始めました。その後、兄琢齊は佐渡へ、弟得斎は大久保に残り、それぞれの地で伝承した技術は連綿と継がれ、1978年、新潟県無形文化財に認定され今日を迎えます。
私たちは自然と共存する生き方と自然の恩恵に支えられた製法を受け継ぎ、世代を超えて愛されるもの作りをこれからも続けて参ります。

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