風土と共に育まれた手仕事 私たちは柏崎の大久保地域で伝統の鋳物技術を受け継いできました。北前船が寄港した港に近く、また鋳物に適した土が産出したことなどから江戸時代に大勢の鋳物師が活躍した土地です。浜には砂があり、山では炭が焼かれ、必要なものの全てをこの土地から享受し、日々に寄り添う道具を創り出すことを生業としてきた先人達。彼らから手渡されたのは丁寧な手仕事と、自然の環の一部として生きる生き方です。 大久保で生まれた鋳物は、日常の中での愛用品、お地蔵さまや釣鐘や根巻きとなって世代を超えて郷土の人々に大切にされて参りました。伝統文化を培い、手仕事を守り育てるのはいつの時代も人の心だといえます。私たちは、人と地域と自然と共に時を重ねる鋳物作りを次世代に繋げて行きたいと思います。 〈蝋型鋳造法=ろうがたちゅうぞうほう〉 蝋型鋳造法の起源は古代エジプト。日本では奈良時代より用いられるようになり、自然に負荷をかけない技術で制作過程から出る廃棄物が殆ど有りません。 金属でありながら柔軟な表現を可能とするこの技法は、一つの原型と一つの鋳型から、自由な造形の鋳物を創り出すことが出来ます。 先ず始めに蝋で原型を作り、その周りを真土(まね)という土で覆い数日かけて乾燥させます。 乾いたら炭火でゆっくりと焼き、蝋の原型を溶かして流し出します。 そうして焼き締められた真土は鋳型となり、溶かした金属を流し込み、冷めるのを待ち鋳型を割って鋳物を取り出します。その後、磨きあげることで完成します。 〈紫銅焼き=しどうやき〉 炎が描く赤や紫の斑紋を表面に纏わせた銅鋳物を斑紫銅(はんしどう)といいます。鋳込み、そして磨き上げた銅鋳物を良質の炭で囲いゆっくりと温度を上げて行き、美しい斑紋を得る為に熱で変形し始める直前の絶妙の時を見計らい取り出します。 触媒を使用しない紫銅焼きは「本焼き」とも言われ、銅鋳物だけに施すことが可能な伝統技法です。 炎が生み出す趣深い色合の斑紋は、一つとして同じ物は現われず、それは夫々に与えられた命のようなもの。時を経る程に趣が増して行きます。